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人間は進化を続けながら動物の本質を失いつつあります。
僅か80年余の人生で幾度となく見て来た人間性を感じない人の行動を見て来た事でしょう。
人は言います,」獣のようだ」とその時は野山に棲む野獣を思っての言葉でしょう。

野獣は己の生きる為の手段としてのみ動物を殺し食します。
自然の摂理を逸脱することはありません。
戦前、小学校に入学して時点で敵(人間)を殺す正当性を教えられました。
恐らく教師達もその正当性に疑問を抱いていたに違いありません。

終戦後には人間性の欠片も無い事実に直面しました、ソ連兵が無意味に銃を撃ち人を殺したのは彼等も戦争の極限状況に置かれた人間性の喪失状態にあったと許し難い行為乍ら理解は出来ます。

大連の街で隣の和田さんの小母ちゃんが買い物に出たきり行方不明になりました。
数日後近くのお寺の墓地で死体で発見されましたが着ぐるみ剝がれ金歯は抜かれて放置されていました。
中国人の仕業だろうと言われましたが真実は解りません。
物取りなら殺す必要は無いのです。このような事は数知れずありながら事件と伝えるられる事も有りません。

・・・事実を記そうと思いながら筆が止まります・・・
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涼しくなり始めました繁った草の伐採も出来そうです、今週は雨が続きます・・・



by tabibitohide | 2019-08-19 21:06 | Trackback | Comments(0)

祖父が帰郷したのは明治30年,出奔から10年後25才の頃と思われます。

爾後、30年に亘り今津小学校樋合分校で教鞭をとり続けました。

学校の歴史を読むと、当時の職員名簿に祖母の名前も記されています、恐らく結婚後に代用教員として勤めていたのでは想像します。

祖母の生前の話では17才で嫁に来て19才で長男が産まれたと言っていました。

祖父の本家は菩提寺の東の総代、祖母の実家は西の総代を昭和30年代まで務めていたのでそれなりの縁が有ったのでしょう。

両家共、旧相良藩の家臣で天草の乱の後、天領となった天草の地に移住し祖父方は帰農し祖母方は役座と呼ばれる下役人だったようです。

明治維新後、祖母の一族は天草を追われ父祖の地、球磨へと逃れたそうです、その時の辛苦は祖母が曾祖母から聞いた話として記憶していますが本筋から離れますので別に記します。


by tabibitohide | 2019-08-11 21:03 | Trackback | Comments(0)