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桜の植樹の思い出

1955年、私達、約500名の卒業生が卒業記念樹として桜を植樹しました。

水前寺競技場から校門まで300米ほどでしょうか、10年後の桜並木の壮観を想像しながら汗を流しました。

人家も疎らな畑の中の真直ぐな一本道、残念ながら道路拡張工事に伴い全て伐採されその名残も残りません。

人それぞれに思い出に残る花があります。私には旅順・大連に5月に咲くアカシアの花です。
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この花が咲くころ、「今日はアカシアの天婦羅よ」と母に言われ花を房毎 採り持ち帰りました。
甘い味わいの天婦羅でしたが今でも食べている人がいるのでしょうか。
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日本で花と言えば「桜」旅順・大連で生まれ育った人間にはアカシアの花と雪のように舞う柳の花です。


by tabibitohide | 2019-03-31 21:22 | Trackback | Comments(2)

熊本もようやく開花宣言

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熊本市内の桜もかなり咲いています。
3月26日、遅ればせながら開花宣言が出されました。
今年から初めて移転した気象台の桜での開花宣言、熊本駅近くの場所では大きく環境の変化もあるでしょう。
立田山憩いの広場へ出掛けました。
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12時前の時間、花見客が弁当持参で三々五々集合中でした。
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明日は雨、今週末は花見で賑わう事でしょう。

by tabibitohide | 2019-03-27 20:52 | Trackback | Comments(0)

熊本もようやく開花宣言

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熊本市内の桜もかなり咲いています。
3月26日、遅ればせながら開花宣言が出されました。
今年から初めて移転した気象台の桜での開花宣言、熊本駅近くの場所では大きく環境の変化もあるでしょう。
立田山憩いの広場へ出掛けました。
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12時前の時間、花見客が弁当持参で三々五々集合中でした。
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明日は雨、今週末は花見で賑わう事でしょう。

by tabibitohide | 2019-03-27 20:51 | Trackback | Comments(0)

春眠 暁を 覚えず。

古の人は上手い言葉を使うものです。
日の出が早くなり明るくなるのが早ければ太陽と共に生きる動物である人は早く目覚めそうなのに春眠を貪る毎日です。
休日と無縁の日が毎日となり20年になりながら休日ほど床で夢見ています。
外に出れば草毟りの日々、体重も軽くなるようです。
身辺は花盛り、ソメイヨシノも満開が間近です。
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by tabibitohide | 2019-03-23 21:22 | Trackback | Comments(0)

「強かった?今も強かよ」と異論が出るかもと思いますが、私は昭和22年から5年間の居住ですから現在の事は無知です。

父の故郷、天草に引揚げて驚いたのは、成人男性が居ない事でした。

男性は老人と子供だけです、

海沿いの地域は海運業、農家の働き盛りの男性は多くは関東・関西地方への建設現場へ特に石垣造成の職人として出稼ぎへ帰省は盆正月だけです。

従って女性の力が大きく強い存在でした。

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他家の事はさて置き今日は我が一族の一端の聞き書きを記して見ます。

現在の上天草市樋合島、旧天草郡今津村樋合に今津村立今津尋常小学校樋合分校が存在しました。

1875年(明治8年)~2010年(平成22年)まで名称を変更しながら135年の歴史を刻みました。

私の祖父はこの分校で教師生活を始めこの場所で教師生活を全うしました。

その子供、父の兄妹男6人女6人の12人は全員、この島で生れ育っています。

私達、孫4人を老いた身で育て91才まで生きた祖母は「強か天草のおなご」その典型ですが、その話はさて置き・・・

父の妹達を見れば「天草のおなごは強か!!」と思えますが特に強烈な印象を残す叔母の人生を振返ってみます。

牧野瑞江 1914920日~1946413日、行年32才。

昭和20815日、終戦時には中国上海で両替商、骨董店を営んでいました。

終戦の当日に叔母が取った行動の俊敏さには驚きます。

租界である上海では日銀券・朝鮮銀行券が併用されていましたが朝鮮銀行券が無効になると予測して全額を知人の中国人に与え食料を買い込むように指示して日本に渡る船を借り上げ全ての家具・商品と日銀券を積込み翌日早朝には天草へと出航したのです。

調べると航海距離は約840Kmです、何日の航海か知る由もありません。

私達家族が日本に帰り着いた19472月、には叔母は御この世には居なかったのです。

叔母が苦労して持ち帰った日銀券は預金封鎖で無価値になり数多な骨董品は全て散逸して無に帰しています。




by tabibitohide | 2019-03-04 21:56 | Trackback | Comments(0)