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故郷は近くにて

今日の熊日「記者ノート」
国立ハンセン病療養所菊池恵楓園入所者入所者、関敬さん(90)に関する記事を読みました。
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1943年から76年間の長きに亘り国策により隔離療養をせざるを得なかった生活が偲ばれます。
空気伝染が否定され治癒する病と判然とした1950年当時が患者の発掘隔離が最大であったと仄聞します。
1957年、私は恵楓園に隣接する結核療養所、国立再春荘に入所していました。
当時は既に結核は治癒する病気と医療界では認識されていましたが一般社会では忌避されていました。
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恵楓園で催事がある時には何時も遊びに行きました。
近年は高齢者ばかりの施設となりましたが当時は若者達も多く入所していました。

秋の文化祭には手塩にかけた菊の花が展示されているのが印象的でした。
60年以上も過ぎた今でも思い出すのが結婚して長屋に住むお婆ちゃんが、セキセイインコに言葉を教え「ほら今○○と言った」と話すのですがどうしても言葉に聞こえなかったこと等々です。当時の患者の調査は厳しいもので当時、住んでいた近所の一年先輩が強制収容されて帰って来なかったので患者だったと思っていました。

然し後年、聞き及んだことは半年後の精密検査で病気ではないと退所しながら近隣の風当たりを慮って親戚を頼った他所で仕事についているとのことでした。
治る病と判明した後も拡張した施設を満室にする為に強制収容を継続したやにも聞きます。
このような事は全ての国策に通じるのではと思います。

40年~50年で廃墟となる原発、ダム建設、造るのに金を遣い、壊すのに金を遣う、賽の河原に積む小石のように・・・


by tabibitohide | 2019-01-24 22:57 | Trackback | Comments(0)

「成人の日」

「成人の日」に貴方は何をしていましたか?
そう問われて楽しい思い出が語ることの出来る人は幸せな時代を過ごせたのでしょう。
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平成最後の「成人式」は1月14日、月曜日に開催されました。
10年ほど前までは近隣の大学生が大勢、晴れ着姿で出かける様子が見られました。
今年は近所の娘さん一人の晴着姿を見掛けただけで、大学生は皆無でした。

私の成人式は1956年、浪人生活中、叔父の肥料工場の肥料を開拓地へ送るために近くの駅で貨車に積込作業に汗を流していました。
調べて見ると当日は日曜日、その頃は日曜も休日は稀だったのです。本籍地の天草の片田舎では中学卒業した15才で「青年団」へ自動的に入団式が行われ、その日から一人前、日雇いの日当も地域の苦役も一人前と認定されていました。
戦前は高等小学校卒業した14才で入団、全員、夕食後には地域の青年宿で妻帯するまで寝泊まりする習慣があったそうです。
18才で選挙権、成人と人としての権利取得を速める時代を造りながら何かを忘れ去り捨て去る社会を造り出しているのではないのでしょうか?
何が本当に必要かを大人達が真剣に考える時が今なのでしょう。

そう言えば成人式の祝いに村役場から送られた「50円と記入された貯金通帳・印章は」何処に消えたのだろう???

by tabibitohide | 2019-01-14 21:34 | Trackback | Comments(0)
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兼高かおるさんが90才で亡くなった報道で知りました。彼女の存在を知ったのは高校生の頃、級友の上田くんが「兼高かおるは美人だな!」と言いました。
「誰や??」当時の私は世事に疎く社会の出来事に無頓着な少年ですでしたた。
彼が見せてくれたのは「文芸春秋」に掲載された兼高かおるのインタビュー記事と写真でした。
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昭和27~8年当時の高校生に雑誌を購入するゆとり等有る筈も無く図書館で本を読むのが知識の基でした。

彼には様々な常識を学びました。山下清画伯も彼から聞きました。

八幡製鉄所への見学旅行の帰途、折尾駅で「おい山下清がおるぞ!」と言うので見えたのは薄汚い浴衣姿のリュックを背負った中年男です「山下清て誰や?」「自分な知らんとや?」その生い立ち、現在行方不明等々教えてくれました。
川上哲治・美空ひばり・三橋美智也、程度しか知らない世間に無知な人間が最初に知った魅力的な女性「兼高かおる」が天国へ時代が過ぎ去って行きます。


by tabibitohide | 2019-01-10 15:36 | Trackback | Comments(1)

72年昔の今日‼

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 日米貿易摩擦の影響で日・中両国の養豚業者が思わぬ苦境に陥っている聞きます。

広大な国土を持つ中国では食料の完全自給自足とおもっていましたが現状は世界有数の

食糧輸入国と知りました。
中国政府の農産物報復関税で大豆の輸入が止まり、大豆油の生産減少を招き豚の飼料の大豆粕が減少養豚農家に壊滅的な影響を及ぼしています。

世界の農産物の輸入・輸出の問題はさて置き、私と大豆粕のお話を続けます。写真は大

豆油の絞り粕です。

今を去る事72年前、昭和22年の一月の今頃、私の家族は餓死寸前な状況下にありました。

終戦から一年半が過ぎようとする頃には大連の街に住む日本人家庭は皆、同様な環境下にありました。
成人男性は「日僑証明証」の名札を頸に下げて職を探しても仕事が有る筈も無く持ち物を売りつくし最後の食糧が大豆粕、これほど不味い食べ物を知りません。
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それよりましなのが上の写真、落花生油粕でした、これはほどほどに美味い食料ですが最期には手に入る事はありませんでした。
その一月後の昭和22年2月初旬に日本の土を踏みましたが一月は床に就いたまま過ごしました。

春先まで帰国が叶わなければ今、この文を書くことも無かったに違いありません。


by tabibitohide | 2019-01-05 16:01 | Trackback | Comments(0)
2019年、「平成31年」と平成最後の年が始まりました。

年頭から厳しい経済戦争の波が襲っt来るようです。

昭和天皇が崩御し平成が始まった時、私はアメリカ西海岸に滞在していました。

その前にも欧州・アジア各国を旅行・会議等で滞在の経験は有ったものの、アメリカ滞在で国別、個人別の経済格差を実感しました。
年末年始と言う時期に日中・夜間を問わずに多くの人が働いているのです、アメリカ人は日本人以上に働いていると思いました。
朝、明るくなりよく見ると働いているのは黒人、有色人種で移民・出稼ぎと思える人々でした。
低賃金・過酷な労働をそれらの人々に依存すことによって得られた国の繁栄に過ぎないのです。

日本がその道を追い、中国が猛追しているのです。
現在、米中貿易戦争の余波で大豆油の絞り粕が不足し日・中共に畜産農家の飼料不足に襲われ始めています。狭い国土の日本なら、ともかく広大な国土を持つ中国までとは想像外でした。

中国の事は知りませんが日本国内の農地は不動産開発の波の揉まれ回復不能な状況です。

国の未来に長期的な展望を持つ政治家は絶滅危惧種、国民全員が刹那的な行動を省みて国の行く末に思いを馳せて欲しいものです。
次回に私のように狭い世界での経験しか無い人間の少ない経験を記して見ます。

by tabibitohide | 2019-01-02 21:46 | Trackback | Comments(0)

謹賀新年

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謹賀新年
旧年中は皆様方に、ご厚誼頂き有難うございました
新たな年よろしくご指導賜りますように宜しくお願い申し上げます
           平成31年元旦
            旅人ヒデ in kumamoto

by tabibitohide | 2019-01-01 00:01 | Trackback | Comments(0)