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医療費の増大

国民の年間医療費が40兆円を超えると言う。

国民皆保険制度になり60余年、物価上昇はあるにせよ当初5,000余億円の医療費が40兆円と言う途轍もない額になっている。

私が高校生時代の昭和20年代は健康保険は官公庁と企業だけであった。

今でも思い出す、歯痛に耐えきれず歯科医院に行ったら初診で500円、明日も来てくださいと言われても金が無く放置して過ごした。

当時は大の大人の日給250円の時代、2日分の日給である。

現代社会では3割負担、高齢者は1割負担が多数である。

この保険制度は堅持しなければならない。
過剰診療は無いのか無駄な出費は無いのか偏りの無い真剣な検討を願いたい。


by tabibitohide | 2017-08-31 20:54 | Trackback | Comments(1)

甦れ郷土の誇り熊本城

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熊本城の復元を待つ気持ちが募るのは年齢の所為でしょうか。

私達は昭和30年に高校を卒業して10年後からクラス会を隔年で続けてきました。
最後に開催したのが平成18年、全員が古希を迎えた年でした。

この回が最後になるとは露ほどにも思わず、20万円程度の繰越金を使いきる予定が3万円弱の繰越金が残りました。

年々他界する級友、全員高齢化で再開は不可能と判断して今年の正月に熊本城復興復元基金へ寄付しました。
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生存する級友に連絡を準備しながら他界した友の多さを痛感しています。
早く復興復元が出来れば元気な級友だけでも再集出来る日もあるやと思う日々です。


by tabibitohide | 2017-08-30 21:38 | Trackback | Comments(0)

急性大動脈破裂

テレビ熊本のアナウンサー荒木恒竹氏が8月27日、急逝されました。

詳細は知る由もありませんが一部報道によれば急性大動脈破裂によるとあります。

私がこの病名に関心が深いのは私の父も同名の病気で亡くなったからです。

昭和25年6月18日、67年も前の事で享年47才私が14才末妹、生後6ヵ月でした。

当時は熊大附属病院で治療を受けていたので最善の処置が取られたと諦めていましたが、10年ほど後で専門医に聞き、「当時としては出来るだけの治療でしょう、現在では外科手術が可能です」と聞きました。

胸部大動脈瘤は目視で分かります、父の場合は一度だけ一緒に入った風呂で聞くと「福瘤だから良い事があるだろう」と笑っていまいたがその数か月後の事でした。
自覚症状が現れ難い病が多く少しの異変を見逃さない為には自分で意識する外ないようです。
傘寿を過ぎた身には明日何が起きても不思議はありませんが若い人は自己管理を大切にと言うだけです。
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荒木恒竹のご冥福をお祈りします。

by tabibitohide | 2017-08-29 22:25 | Trackback | Comments(0)

虫の声

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日が沈むと昼間の暑さが嘘のように涼しさを感じます。
間違いなく秋が近付きました。

外で聴こえた虫の音が家に入ると突然途絶えます。

家人に聞くと五月蠅いほどの虫の声が聞こえると言います。年齢を重ねると高音g聴こえなくなると聞いてはいたが現実となりました、

最近、病院での検温で体温計の音が聞こえず看護士さんに「もう良いですよ」と言われます。

蝉の声は五月蠅く聞こえるのに鈴虫の鈴のような音は聞こえなくなる、そのうちに若い女性の声も聞こえなくなるに違いありません。


by tabibitohide | 2017-08-28 21:26 | Trackback | Comments(0)

この風景が甦る日は?

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暑い夏の毎日、外に出るのも億劫です。
昔の画像を眺めながら散歩した気分を味わう日々です。
二の丸駐車場から熊本城内に入る毎に眺めた風景、再び見る日は何時でしょう。

過ぎし日、高校生の頃には存在しなかった風景ですが、いつしか存在するのが当然の景色です。この長い石垣と塀が完成したのは昨日のようでも有り昔のようにも思えます。

私の熊本城は天守閣も無く荒涼とした荒城、訪れる人も稀な古城。復活した天守、櫓の数々、その間が思い出せません。
現在の若者たちも何年後かには急に新たな城郭が出現したような思いになるに違いありません。


by tabibitohide | 2017-08-25 21:04 | Trackback | Comments(2)

へそ曲がり人生

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へそ曲がり人生を82年も続けて来たような気がします。
物心ついた頃から無意識裏に他人が言う事の反対を通して来たように思えます。

スポーツ万能で水泳ではオリンピック候補にも選ばれた父は、私が幼い頃から特訓を始めました。
プールで手を添えて泳がされ手を離されると、何もせずに沈んでしまうような子供でした。

何事も人が敷いたレールを走るのは嫌で生きて平均年齢を超えてしまいました。

今更ながら本当にやりたいことを置き忘れた思いが湧いてきます、然しマア良いか・・

体に悪い、受動喫煙が迷惑だと言われ続けられても煙草は止めません。

写真は某スーパーの喫煙場所です。屋根も無く雨ざらし、日が照ればベンチは尻が火傷しそうな熱さです。家では30坪ほどの裏庭に植木鉢を灰皿に只一人の喫煙所です。

煙草の害を言うならば住宅街を無用な自動車走行を禁止しろ。

PM2.5が飛んで来るのを止めて見ろ。

悪態つきながらもう少し生きていきます。


by tabibitohide | 2017-08-18 21:21 | Trackback | Comments(0)

72回目の「終戦記念日」

先の大戦の惨禍を知る人は75才以上の年代でしょう。
その世代が日本の人口の1/8、約12.5%になったと聞きます。
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貴方は終戦の詔勅をどこで聞きましたか?
鮮明な記憶を持つ人は90才以上の方々に違いありません。

私は旅順港を望む小高い丘に建つ小学校の校庭で聞きました。

全校生徒800名ほどの生徒の中、50名程度の生徒が集合しました。
現在のような連絡手段の無い時代どのような方法で連絡が来たのか記憶にありません。

雑音ばかりのラジオを拡声器で放送、全く意味が解りません。
校長が居た記憶はありませんが、教師の一人が日本は負けた、日本からの迎えの船を待つように・・らしき話がありました。
家に帰り母に話していると隣家の小母さんが「神国、日本が負ける筈は無い、非国民は殺してやる」と追いかけられたのを覚えています。その後、日本に帰るまでどれだけ多くの人が命を落としたことでしょう。

私の家族でも3人が日本の土を踏めませんでしたから戸籍に記載されない子供を含めると想像できない人数に違いありません。
戦時下では基本的人権など存在しません殺すか殺されるか、山奥に穴を掘り隠れ住むか方法は無いのです。

弱腰と言われようが戦を回避する手段を探すしかないのです。
安全な場所へ避難する術を知る者ほど強気な発言をするものです。

by tabibitohide | 2017-08-15 21:13 | Trackback | Comments(0)

8月は胸騒ぎ覚える日々

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毎年、8月を迎えると不思議に胸騒ぎを覚えます。
平和な日本の甲子園での高校球児の熱戦、TV観戦の場にも伝わるスタンドの喧騒。

現在の平和の対極に72年前の原爆被害、敗戦の報に言葉を失いこの世の終末と悲嘆に暮れた日々、忘れる事の無い経験です。
昭和15年に初めて4才で日本に初めて里帰りしたのも8月でした。
冬が長い満州の夏休みは8月からなので小学生の姉の夏休みの帰省、昭和8年の渡満して初めてのそして最後の里帰りでした。
祖母と在熊の叔母3人と初めて対面、墓参りに行った記憶は鮮明です。
不思議に母と姉妹の姿は記憶に在りません。

今日は98才で旅立った叔母の初盆、父の弟妹12人で93才の末妹一人残すのみとなりました。
心乱れる暑い夏の終わりが待ち遠しく感じます。


by tabibitohide | 2017-08-13 17:01 | Trackback | Comments(0)

時の流れ

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ここに写る画像は平成13年2月の写真です。

依頼された集合写真を撮るには当時のデジカメでは心許なく645にISO200のフイルムをセット、ポロライドで試写、確認して撮影した事を思い出します。
この時代は露出、シャッタスピードを計算、構図を考え試写して確実性を確認したものです。

カメラを手にする者の玄人。、素人に拘わらず常識でした。
振り返ればカメラを持つ真剣さの欠片も持ち合わしていません。

恐らく自分の中に真摯な気持ちが甦るとも思えません。

ある出来事から集合写真は断りこれが最後の集合写真の撮影です。


by tabibitohide | 2017-08-11 21:23 | Trackback | Comments(0)

長崎「原爆の日」

1945年8月8日午前11時2分長崎市に原爆が投下され壊滅的な被害を被ってから72年の歳月が流れました。

決して風化させてはならない惨禍ですが何時しか日本人の中でも意識しない人が増えているやに聞きます。

当時私は小学4年生、生まれ育った旅順ではソ連の参戦のニュースで騒然として長崎への原爆投下は知りませんでした。

今日「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれましたが被爆者の高齢化は進みやがて当時を知る人も皆無になる時代が来るでしょう。
今、原爆の悲惨さを知らない世代の国の指導者間で危険な玩具を弄ぶような感覚で脅しあう時代が到来しています。

長い年月、各国の指導者が決して口にしなかった文言で罵り合う時が来るとは考えませんでした。

今日、永井隆博士の著書「この子を残して」を読みその昔、涙した日々を振り返っています。

小学4年の長男「誠一」小学1年二女「茅乃」、当時、自分も小4,妹小1だった事も有り他人事に思えなかった記憶が残ります。
無力の自分にはただ平和を祈る事しかできません。
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by tabibitohide | 2017-08-09 16:45 | Trackback | Comments(0)