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中国春節物語

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NHKBS放送で「中国春節物語」を視聴しました。
北京オリンピックの翌年のドキュメントですから2009年の物語です。

広州市から四川省の実家へ春節に帰省する家族の様子、広州駅の混雑、切符を手に入れる苦労等々、日本の1960年代の帰省風景を彷彿する情景です。
戦後過ごした天草では働き盛りの男性は全て出稼ぎ、帰省するのは盆暮れだけでした混雑する汽車の旅だったと思われますが中国とは人口が大きく異なり少しはましだった事でしょう。
汽車を待つ駅構内で夜を過ごし一時の交流を大切に思う庶民の姿に人間の変わらぬ情を感じました。
庶民の心情は世界は一つ、正しさを求める筈の指導者の偏狭さが諍いを深める皮肉な現実です。


by tabibitohide | 2017-07-31 21:52 | Trackback | Comments(0)

雑草の変遷

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変遷と言うほど大袈裟な話ではありません。
広くもない我が家の庭に生えて来る雑草、最初にシロツメグサの繁茂に閉口して除草剤を散布して退治しました。
暫くするともっと厄介なドクダミが増えて往生しました。
3回ほどの除草でようやく撃退で一安心。
その後に占拠し始めたのがマルバツユクサこれは最強の外来雑草です。抜けども抜けども増えるばかりです。
調べて見ると土中花が咲き抜いては勿論、除草剤で枯れても土中花から芽が出てきます。
成長する前に除草剤で駆除、芽が出たら駆除と根気よく続けるほかに方策がありません。
人間界も自然界の一部、同じです。
無理な方策は何時かは破綻を招く知恵が進化するだけに一番、厄介です。


by tabibitohide | 2017-07-29 20:17 | Trackback | Comments(0)

すまじきものは宮仕え

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毎日、毎日、「加計・・」「日報・・」と世の中騒がしい。
見ずに、聞かずにいればと言われそうだがやはり目に入り耳に届いて来る。

予算委員会へ参考人招致された大臣、官僚の答弁「記憶にありません」の連続、言質を取られぬように否定も肯定も無し。
一般社会で通用する筈も無い文言で通るのが政官界とは結構な社会である。
組織を守る為か、上司を守る為か不条理に耐え忍ぶ宮仕えの辛さであろうか本来は国民の公僕である筈が。
企業でも同様であろうが個のスキルを磨く事で生きる道は多様に存在する。

前川喜平前次官が天下り問題で引責辞任した事も時系列で見ると変な論理に思える。
いずれにせよ政官界は一般社会とは乖離した社会に違いない。
嘆いてばかりでは済まない現実がある事だけは確かである。


by tabibitohide | 2017-07-27 22:02 | Trackback | Comments(0)
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昭和47年7月6日突然、上天草を襲った豪雨による大水害を覚えていますか?
局所的な豪雨で現在のような情報も少ない時代の災害です。
2日後に支援物資を車に積み込み当時の社長と得意先を訪れました。
海岸沿いの道路以外は通行もままならず途中で停車して歩きました。
一時間100mm超、一日300mmの雨が狭い地域を集中的に襲った雨の被害は深刻な状況でした。
当時の記録によれば死者・不明者115名の大きな犠牲者も出ています。
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私の実家には,当時90才の祖母が一人暮らしたが80年、住んで浸水も無かったので家に止まっていましたが高台に住む叔母が異常を感じ迎えに来て無事でしたが1m先が見えないほどの雨だったと聞きました。40年ほど前までは大きな被害が起きても情報不足で知れ渡る事も少なかったに違いありません。
当時は仕事第一の時代、実家の惨状を見たのは8月のお盆に帰省した時でした。

その大水害で父母、叔父叔母の写真、父・叔父の日記、子供時代の記録等々、一切合切、流失しました。記録・記憶・思い出は消え去るものと知りつつもやはり寂しさを覚えるものです。
さりながら思い出は残したいもの自然災害を避けがたい日本、自然災害の到来が無いように祈る外ありません。


by tabibitohide | 2017-07-22 20:38 | Trackback | Comments(2)
熊本市が生活保護費を事務上のミスで過払いした分の返還請求するとの報道に驚きました。
森友学園のように虚偽の請求で支払った訳でも無く役所のミスです。
通常の取引でも過払い金の請求は大変な手続きが必要です。
そもそも生活保護費は最低限の生存権の保障であり原則的に預貯金することは想定外です。

過去5年分の過払い金を返還する事がどれほど過酷な事であるか想像するだけで如何ほどの不安を抱かせるか・・・

受給者は今後も生活保護を貰い続ける弱い立場、反論も出来ずに支給額減と返還金を合わせた金額減、自分の年金が?と考えるだけで身震いします。過払い金は税金だから返還してもらうのは当然、それは正論でしょう、然しミスを犯した側は戒告処分で終わりでは不公平です。
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by tabibitohide | 2017-07-20 22:32 | Trackback | Comments(0)

劉暁波氏死去の報に思う

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新京(現長春)の街並

劉暁波氏(61才)が713日、肝臓がんのため中国遼寧省瀋陽の病院で亡くなった。

劉暁波と聞いて日本人の中でどれ程の人がすぐに思い浮かべるであろう。

1955年、中国吉林省長春市で生まれ、1969年両親と共に内モンゴル農村へ下放、再び長春市へ帰郷後、文学の道へ進み中国現代文学・中国哲学・中国現代政治の碩学としての道を進む。

1989年、研究者として滞在中の米国から帰国して天安門事件に参加した。その後も民主化運動に参加「反革命罪」で投獄される。

その後も様々な弾圧を受けながらも文筆活動・民主化運動を続けるも2009年「国家政権転覆扇動罪」により懲役11年の判決を受け入獄中であった。

彼の民主化運動に懸ける信念は何処で培われたのであろうかと考える。

私見ながら長春市と言う彼の揺籃の地で育まれたのでは無かろうか。

長春市、私が子供の頃には「新京」と呼ばれた幻の国、満州国の首都であった。

清朝の廃帝、溥儀を元首として造られた「満州国」は現在の国際社会では日本の傀儡国家であると評されるが建国当時の理念は五族協和の理念が存在したことは間違いない。

新京(長春)哈爾濱・奉天(瀋陽)・大連の街は終戦間近まで割合に自由な雰囲気を醸し出す街であった。

彼の生誕は満州国滅亡後、10年後であるが両親はその時代に青年期を過ごしたであろう。

その後変貌した国に失望しながらも理念を追い求めその子息である劉暁波氏も影響を受けたと勝手に想像する。

長い人生の経験を持つ人が多数存在する社会ほどより良き社会の創造する力学が存在する。

より良き社会とは何か?それは人類の長き歴史に学ぶ以外にはあり得ない。



by tabibitohide | 2017-07-19 08:56 | Trackback | Comments(0)

人が壊す自然

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終戦後、ようやく落ち着きを取り戻した時代。
荒廃した山林への植樹が始まりました。
私が小学五年生の頃、最初に学校から配布された樹木の苗は楠でした。

家の周囲の空き地に植え成長すれば樟脳が採れるとの触れ込みでした。
時を経るごとに杉・檜と建築材の増産のために山林植樹が学校ぐるみの取組が始まりました。
昭和30年初頭まで続いた植林は建築材に適した針葉樹です。
地質を考慮する事も無く植えられた樹木は輸入材に駆逐され手入れされずに放置、60余年の時が過ぎました。

上空から見える山林は緑豊かな豊潤な山に見えます。現実は保水力を無くした山林に変えたに過ぎません。

熊本県民は阿蘇の草原に針葉樹が植林されなかった事を喜ぶべきであり草原保全の努力を営々と継続された阿蘇の人々に感謝の念を忘れるわけにはいけません。



by tabibitohide | 2017-07-15 21:31 | Trackback | Comments(0)

福岡・大分豪雨災害の報を見ながら熊本大水害を思い出します。

昭和28年6月26日、午後5時25分発上り列車を待って熊本駅にいました。
駅の待合室は帰途を急ぐ高校生で立錐の余地も無い混雑でした。
駅前は10m先も見えぬ豪雨が続いています。列車の運行中止の放送が続き各高校の避難場所の通知が始まりました。
私達の高校は京塚の寄宿舎、電車は動いているが電車賃が無い、歩く以外ありません、
急いで1時間30分は優にかかります。
豊肥線で行こうと結論、乗車して待つが動く気配無く鉄橋が流失したので運行停止の連絡放送です。
汽車が動くまで列車内で待つと言う、長谷君と別れ、伊藤光浩・祇園健、両君と3人寄宿舎へ急ぎました。
既に電車は止まり最短距離の白川橋を渡り産業道路を歩くと決めて橋際に着くと通行止めで流失寸前、やむを得ず堤防を歩き始めました。ようやく泰平橋に辿り着くと橋は半分しかありません。
歩く歩く濁流を流れる流木と家屋を見ても全く実感がありません。
長六橋は濁流が橋上を超え到底、渡れません。人影は無く、ようやく堤防を川を見ながら歩く数人の消防団員と出会いました。
彼らが見つめる先には流木に縋り手を振る人の姿・・次々と長六橋を塞ぐ流木の山に激突して姿が消えます、偶然、飛び移る人も見えますが助ける術もありません。
4時間の避難行はまだまだ続きます・・途中で出会った人は僅か、当日の白川の氾濫を長い距離・時間、見続けた人間は僅かに違いありません。 あと続くかも?


by tabibitohide | 2017-07-14 22:31 | Trackback | Comments(0)

活字に飢えた時代


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人間、9才から14才頃の年代が人生一番の知識欲旺盛な時期です。

生まれ故郷を追われ落ち着いた大連の寄宿先では父が借りて来る「宮本武蔵」を読み始めたのが最初でした。

寄宿先の本棚の書籍は難解な物ばかり解らぬながら片端から読みました。

今でも記憶に残るのは厨川白村著「象牙の塔を出て」「近代の恋愛観」等々、小難しい書籍ばかりです。

不思議な事に読み進めば漢字の意味も解り始めます。

恐らく象形文字として理解し文章の流れで読み進める事が出来たのでしょう

読破後の最期の砦は百科事典です、全10巻ほどを何回、読んだか知れません。

引揚後も読書の習癖は治まらず戦死した叔父の書籍を読み尽くし、スペインの作家ビセンテ・ブラスコ・イパニェスの「血と砂」何度、読み返したか分かりません。

1908年の作で花形闘牛士フアンノ栄光と挫折、伯爵夫人との不倫の恋と妻カルメンとの愛憎の狭間で迎える最後、当時11才にはどこまで理解出来たやら・・

芥川・太宰・田中英光と憧憬の目で見た時期もありました。

長じて高校時代は「異邦人」「ペスト」を読みカミュの異才に驚愕 級友に「カミュはノーベル賞とるぞ」と喧伝するが返事は「そら誰や・・」でした。

原書で読みたいと思いながらフランス語を学ぶ機会も無くまもなく人生を終えます。

原書で読んだのは「チャタレー夫人の恋人」の冒頭部分のみでした。

何はともあれ小学高学年から中学生の時代は進路を決めるのではなく知識欲を満足させるのが身近な人間の責務と考える昨今です。



by tabibitohide | 2017-07-11 21:36 | Trackback | Comments(0)

国の責任は国民の責任

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時々ふと思います。国の責任が問われ国家賠償が行われます。
国家賠償の原資は何処から出されるのでしょう。
総理大臣を筆頭に政治家・官僚がせっせと商い稼いで払うのでしょうか?私達の税金ですよね。

彼らは言うでしょう国民が無駄に使わぬように我々がせっせと集めた税金、我々の物です。
政治家は言います「私が責任を取ります」彼らの責任の取り方は辞める事しかありません。

先の大戦では私達は満州で終戦を迎えましたが戦後の政府は現地の日本人は現地に同化出来ないかと模索したと聞きます。民間人の帰還は後回しで最後になりました。
議員・官僚は国民に委託された責任を自覚して国民に報告する義務がある書類を自動廃棄する権利はありません。
世の中歴史に学べと言われますが恣意的に改竄された記録、ましてや廃棄されれば歴史の検証することもできません。
我々が関与できるのは自分が議員に選出されるか選挙で一票を投じる事しかありません。
自分が出来る事、一票の重みを今一度噛みしめます。


by tabibitohide | 2017-07-09 22:06 | Trackback | Comments(0)