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73年前の12月を想う

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昭和21年12月、凍てつく満州大連の仮住まいの一隅で10才の私は夢か現の中で生きていました。
今でも夢の中の出来事のように思えます。

秋の終わりまでは大連の街角で首から下げた箱に饅頭を時にはピーナツを入れ売って幾許かの食費の足しを稼いでいました。

12月にもなれば寒空の下、街行く人の疎ら、寒い家の中食卓の下に電熱器を入れ破れ布団を掛けた中で妹二人で父と姉の帰りを待つ日々でした。
生きているのか死んだのか判らぬその頃のある日夢を見ました。

夢の出て来たのは俵藤太と大百足・・百足が話すのです「お前たちは来年、1月14日に日本に還れるもう少し頑張れ」帰って来た父に話すと「お前が見た夢なら本当だろう、頑張ろう」と言いました。
翌日、畳に手を点いて起き上がると指の間に痛みが走り見ると百足に噛まれたのです、氷点下に居る筈も無い百足です。

然し現実だったのです,明けて正月、14日、引揚が始まるので明朝10時に〇〇小学校へ集合するようにとの連絡です。

収容所を経由してようやく2月初旬、旧正月の日に夢に見た日本内地に帰り着いたのです。

父の実家で一か月ほど床に着き回復してすぐに小学五年に復学、違う世界に来たような生活・・慣れるのに長い時間が必要でした・・


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Commented by tomiete3 at 2019-12-02 08:45
国策に伴って渡満された多くの方々は、終戦後の引き上げ時‥大変な思いをされたようですね。 子供のころ・・引き上げてこられた家族のその後の生活も大変なようだったことを覚えています。 奥様の頭は坊主に・・女狩りに合わないためだったと後に聞きました。生活のため近所の方がわずかな田畑を貸して‥飢えを救ったようでした。
Commented by tabibitohide at 2019-12-02 20:28
現地での戦後は地獄でした。
父は楽天家で,3か月で日本へ帰れると根拠の無い自信でトラック1台分の食糧を家族の3か月分を残して分配してその後は飢餓状態が続きました。
母と末妹は現地で亡くなり、妹二人も既に世を去り、父も妹二人も世を去り、遠方に暮らす姉と二人が残っています。
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by tabibitohide | 2019-12-01 21:36 | Trackback | Comments(2)