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文章から聞こえる人間の声

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2022年から高校の国語教育改革が予定され国語科目を「文学」「論理」に区分けされると聞く。
仄聞するところ最近の青少年は書物を、新聞すら読まないと聞く。
本来は小・中学で文学に親しむ機会を設けるべきであろうが時遅しの感もあるがっ現状では高校では文学を学ぶ国語教育を実践するべきであろう。
私は小学校に入る前から文字に興味を抱きあらゆる本を読んでいた。

日本語の文章ほど初心者に読みやすい文書は無いに違いない。古の日本人が仮名文字を作り出したことで日本人が飛躍的に文章に親しむ機会が増したのであろう。
小学生のころには漢字は形で意味を類推して文章を理解できた。
国語辞典の存在を知り漢字を覚えた、漢字の姿から意味を知る便利なツール、目から鱗の思いであった。
乱読であった小説を系統だって読むようになったのは中学生になってからである。

担任教師は「松本吉生先生」村会議員を兼務していられたので自習の時間が時々あった。

その時間には必ず教頭の「岡元太義先生」が小説を一冊、小脇に抱えお出まし。
一時間、朗読される、生徒が聞いていようがいまいが読み続けられるのだ。
忘れもしない、最初の小説が芥川龍之介の「蜜柑」である、目の前に情景が浮かび声が聞こえてくる、汽車の窓の外の風景が見えてくる、芥川の心に入りこんで行く・・「トロッコ」「蜘蛛の糸」・・何冊であったろうか。
私が小説に引き込まれ、明治・大正・昭和と文学全集に没頭し、中学・高校と図書館での学生生活を過ごす入り口を与えて戴いた導師である。
読書が人生の役に立ったかどうかはわからない、比較することが不可能である。

論理は文章に親しみ己の力で見つけるものであり教えられるものではないのである。



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by tabibitohide | 2019-09-24 21:51 | Trackback | Comments(0)