太平洋戦争開戦の日

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     今年最後の紅葉と薔薇・・季節を忘れそうな今日の画像。
急に厳しい寒さが訪れました。
昭和16年12月8日朝、「大本営発表・・」の日米開戦の報道を聞いてから77年、このラジオの報道を直接、耳にした記憶を持つのは80代以上の方々です。
その日から3年半の過酷の戦時下の生活を経験し多くの犠牲者の上に今の平和の時代を享受しています。


冬の寒い夕べになると思い出します。

大連の街の夕暮れが迫る頃、暗い空から音も無く降りて来る粉雪。

昭和21年も師走も近付く霜月のころ・・・食料は尽き果て暖を取る術も無い毎日。

昭和20年~昭和22年にかけての僅か2年余りの短い月日に4度の政治体制の経験をしたことが幼かった身にも大きな影響を受けています。

私の小学校入学は昭和174月、太平洋戦争たけなはの最中です。
その旅順第一国民学校が軍人養成所の様相を呈していました。

体育の時間は手榴弾投げ、棒上り、銃剣術、登校時には巻脚絆姿に兵隊帽、チビ兵隊である。

校長は大隊長、担任教師は小隊長、級長は副長、ミニ軍隊ででした。

  1. 軍国主義の生活です。

  2. 昭和20815日夏休み中に突然の敗戦、ソ連軍の侵攻にによる占領軍統治下での生活。

  3. 同年10月、いく当ても無く旅順からの追放で大連へ大連は八蕗軍統治下の中国共産党支配下での困窮生活(八蕗軍は統制が取れていました。

  4. 身に主化された日本での生活。昭和222月、日本国憲法発布後の日本への帰国。

    今津村立今津小学校5年へ編入、「自由バイ・・自由バイ」と何事にも教師に逆らう同級生に馴染めぬ生活・・

混乱した気持ちのままに中学生になり父を亡くし、姉・妹との離れ離れの貧困時代。

5 未来に希望を抱いた日本国発展の時代。

そして現在、多くの犠牲者を礎に得た自由な民主主義社会が遥か昔に経験した閉塞感を予感させる社会の到来する気配を覚えます。どの時代が楽しかったかと考えると昭和40年代に行きつきます。
貧しくとも未来に明るさの予感と希望の光が見えていました。



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Commented by bukkin at 2018-12-13 08:09
ヒデさん ご無沙汰しています。
太平洋戦争の思い出、読ませてもらいました。感無量でございます。あれから77年の歳月が流れました。お互いに年を取りあしたね。
Commented by tabibitohide at 2018-12-13 21:22
> bukkinさん
お互い同じ時代に似たような経験を過ごしましたね。
私にとり日本に帰り中学卒業までが一番、自由に過ごせた思いがします。
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by tabibitohide | 2018-12-08 16:53 | Trackback | Comments(2)