戦時下での不幸に敵味方の区別は無い・・ましてや
2015年 06月 07日
確かに他国の植民地となって生活を送ることは屈辱的であったと理解できる。
戦前・戦中を過ごした旅順・大連の街は多民族都市であった。子供であった私達は五族協和との教育を徹底的に教え込まれ、見分けのつきにくい大和・満州・朝鮮民族は終戦の日までは全く区別なく暮らしていた。
特に朝鮮族の方々は級友の父親は陸軍の将校が多く、我々より裕福に見えた。これも終戦まで全く知らずに過ごしていた。昭和15年に一度、日本に帰省したが当時の日本人の生活の方が貧しい暮らしに見えた。
植民地とされた人々の精神的、心理的な屈辱は敗戦後の占領下の生活を顧みれば想像に難くない。
当時の加害者と現在名指される指導層は既に鬼籍入る今、残された資料で読み解く外無いと思う。
by tabibitohide
| 2015-06-07 22:31
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