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受験戦争を迎える子供達

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年の瀬を前の霜月、18歳の若者達は厳しい受験戦争を目前に健闘しています。純粋な彼等はこの競争社会が公平であると信じて今日を戦っています。
国会の論戦、各メディアの報道を見乍ら感じるのは教育行政と無縁の利害の渦巻く構図が見え隠れします。

センター試験で有れ、民間委託試験で有れ大学で学ぶ実力に達しているかを知る手段に過ぎず、入学者の選別は各大学独自の公平な試験の採点結果によると信じたいものです。

以下 参考文献:中日新聞

英語試験法人に天下り 旧文部省次官ら2人

 衆院予算委員会は六日、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して集中審議を行った。二〇二〇年度の大学入学共通テストへの導入が延期された英語民間検定試験に関し、実施団体の一つベネッセの関連法人に旧文部省、文部科学省から二人が再就職していたことが明らかになった。野党は、英語民間試験導入の背景に官民癒着があるのではないかと追及した。

 関連法人は、ベネッセと共同で英語検定試験を実施している一般財団法人・進学基準研究機構。法人はベネッセ東京本部と所在地が同じ。文科省の伯井美徳高等教育局長は予算委で、旧文部省の事務次官経験者が同法人に再就職し、十月一日まで理事長を務めていたことを明らかにした。国立大学の事務局長を務めた文科省退職者も同日まで参与を務めていたと述べた。

 立憲民主党の大串博志氏は「(民間試験導入が)民間に利益が及ぶ形で考えられているのではないか。疑念を呼ぶこと自体が大きな問題だ」と批判した。

 萩生田光一文科相は共通テストの国語と数学の記述式問題については、予定通り導入する考えを示した。立民の川内博史氏が採点者に学生アルバイトも想定されるのかをただしたのに対し、萩生田氏は「さまざまな属性の方が含まれる」と否定しなかった。


# by tabibitohide | 2019-11-07 21:58 | Trackback | Comments(0)
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2022年から高校の国語教育改革が予定され国語科目を「文学」「論理」に区分けされると聞く。
仄聞するところ最近の青少年は書物を、新聞すら読まないと聞く。
本来は小・中学で文学に親しむ機会を設けるべきであろうが時遅しの感もあるがっ現状では高校では文学を学ぶ国語教育を実践するべきであろう。
私は小学校に入る前から文字に興味を抱きあらゆる本を読んでいた。

日本語の文章ほど初心者に読みやすい文書は無いに違いない。古の日本人が仮名文字を作り出したことで日本人が飛躍的に文章に親しむ機会が増したのであろう。
小学生のころには漢字は形で意味を類推して文章を理解できた。
国語辞典の存在を知り漢字を覚えた、漢字の姿から意味を知る便利なツール、目から鱗の思いであった。
乱読であった小説を系統だって読むようになったのは中学生になってからである。

担任教師は「松本吉生先生」村会議員を兼務していられたので自習の時間が時々あった。

その時間には必ず教頭の「岡元太義先生」が小説を一冊、小脇に抱えお出まし。
一時間、朗読される、生徒が聞いていようがいまいが読み続けられるのだ。
忘れもしない、最初の小説が芥川龍之介の「蜜柑」である、目の前に情景が浮かび声が聞こえてくる、汽車の窓の外の風景が見えてくる、芥川の心に入りこんで行く・・「トロッコ」「蜘蛛の糸」・・何冊であったろうか。
私が小説に引き込まれ、明治・大正・昭和と文学全集に没頭し、中学・高校と図書館での学生生活を過ごす入り口を与えて戴いた導師である。
読書が人生の役に立ったかどうかはわからない、比較することが不可能である。

論理は文章に親しみ己の力で見つけるものであり教えられるものではないのである。



# by tabibitohide | 2019-09-24 21:51 | Trackback | Comments(0)

戦争を知らない子供たち

戦争が終わって 僕等は生れた 戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める・・・
この歌が歌われたのは何年前だったろう。

今では両親が戦争が終わって親達が生れた時代になっている。

戦争が終わって 親たちは生れた 戦争を知らずに 親たちは育った
その子供達が現代日本を動かし始めている。
そして言う「戦争で取られた領土は戦争で取ろう」と・・・

君は目の前で無辜の人間が無意味に殺戮されるのを見ましたか?君の頭上を飛び交う銃弾を経験しましたか?
幸いにも我が国、我が国土で戦争に依って亡くなった人はいません。

私は一度だけ銃で撃たれた経験があります、ソ連兵の自動小銃(マンドリン)から放たれた銃弾が頭上を飛んで行く音・・必死に逃げながら、「逃げ続けるか?、隠れるか?」考えた事を昨日の出来事のように浮かびます。
銃を胸に突き付けられた冷たい感触を・・・

戦争は経験して悲惨さを知るでは無く、想像して悲惨さを知るべきなのです。





# by tabibitohide | 2019-09-10 20:47 | Trackback | Comments(0)

韓国では革命進行中

連日の韓国問題の放送に日本は大騒ぎのし過ぎではあるまいか?

冷静に考えれば、文在寅大統領が最高裁長官に人権派の金命洙氏を任命し徴用工問題について二審判決を支持し日本企業の敗訴が決定に際し我が国は三権分立国家であるので最高裁判決を尊重すると言明しました。

次いで検察総長に尹錫悦(ユン・ソギョル)氏を任命しました。

法務長官に腹心のチョ・ググ氏の任命を図り大統領が司法を手中に収める事を目指している。

文在寅大統領の手法を思うに本来なら国民は自国の体制の変化に対しては自国民の批判が自分に向かって当然であるが批判の矛先を向ける相手を作りだしているに過ぎません。

今、韓国メディアはチョ氏の妻が不正疑惑で起訴されたことを大きく報じています。

この報道が事実であるとすれば、文在寅大統領の司法支配への風穴を開ける目的か、大統領との暗黙の合意があるのか時が見せてくれる筈です。

我々日本国民には大きな関連性があるとは言え、淡々と事実に照らした対応、を続けることが大切です。

傳家の宝刀は抜いてしまえばそれまで、抜かぬからこそ傳家の宝刀として存在します。

テレビ・新聞・雑誌は興味を煽り売れてなんぼの商売、国民は自分の頭で考えて行動しましょう。

革命の応援のお手伝いをすることはありません。


# by tabibitohide | 2019-09-09 07:52 | Trackback | Comments(2)
人間は進化を続けながら動物の本質を失いつつあります。
僅か80年余の人生で幾度となく見て来た人間性を感じない人の行動を見て来た事でしょう。
人は言います,」獣のようだ」とその時は野山に棲む野獣を思っての言葉でしょう。

野獣は己の生きる為の手段としてのみ動物を殺し食します。
自然の摂理を逸脱することはありません。
戦前、小学校に入学して時点で敵(人間)を殺す正当性を教えられました。
恐らく教師達もその正当性に疑問を抱いていたに違いありません。

終戦後には人間性の欠片も無い事実に直面しました、ソ連兵が無意味に銃を撃ち人を殺したのは彼等も戦争の極限状況に置かれた人間性の喪失状態にあったと許し難い行為乍ら理解は出来ます。

大連の街で隣の和田さんの小母ちゃんが買い物に出たきり行方不明になりました。
数日後近くのお寺の墓地で死体で発見されましたが着ぐるみ剝がれ金歯は抜かれて放置されていました。
中国人の仕業だろうと言われましたが真実は解りません。
物取りなら殺す必要は無いのです。このような事は数知れずありながら事件と伝えるられる事も有りません。

・・・事実を記そうと思いながら筆が止まります・・・
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涼しくなり始めました繁った草の伐採も出来そうです、今週は雨が続きます・・・



# by tabibitohide | 2019-08-19 21:06 | Trackback | Comments(0)

祖父が帰郷したのは明治30年,出奔から10年後25才の頃と思われます。

爾後、30年に亘り今津小学校樋合分校で教鞭をとり続けました。

学校の歴史を読むと、当時の職員名簿に祖母の名前も記されています、恐らく結婚後に代用教員として勤めていたのでは想像します。

祖母の生前の話では17才で嫁に来て19才で長男が産まれたと言っていました。

祖父の本家は菩提寺の東の総代、祖母の実家は西の総代を昭和30年代まで務めていたのでそれなりの縁が有ったのでしょう。

両家共、旧相良藩の家臣で天草の乱の後、天領となった天草の地に移住し祖父方は帰農し祖母方は役座と呼ばれる下役人だったようです。

明治維新後、祖母の一族は天草を追われ父祖の地、球磨へと逃れたそうです、その時の辛苦は祖母が曾祖母から聞いた話として記憶していますが本筋から離れますので別に記します。


# by tabibitohide | 2019-08-11 21:03 | Trackback | Comments(0)

祖父母・父母の生きた道

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樋合小学校

昭和6年、熊本市保田窪の地で60才〈満59才〉で没した祖父、私の誕生する前であるので当然ながら会ったことはありません。

祖父は、明治5年(1872)天草郡合津村今村で10人姉弟の末子として生まれています。

日本の最期の内戦「西南の役」が終わり、富国強兵を唱える国の方針に基づき明治12(1882)に徴兵令が施行され、国民皆兵の時代、跡取りは徴兵免除と漏れ伝わる情報によって末子である祖父は子供のいない遠縁の家に養子に出されました。

持参金代わりに五反歩の田畑を持って行ったと聞き及んでいます。

当時の義務教育は下等小学校4年、上等小学校4年と定められてはいたが現実は3~4年の尋常小学校を以て義務教育終了とみなされていました。

祖父は義務教育終了後、14才で向学の志捨てがたく、養子先を出奔して単身、高瀬(現玉名市)渡り菊池川を遡り、来民町の私塾へと勉学の旅に出ました。

日本の教育環境の整備が整い明治33年(1900年)の義務教育無償化に伴い教師の充足を図る各町村では適する人材を求めました。

祖父は私塾で後進の指導に当たっていましたが故郷の有志の要請により故郷の児童教育に当たるべく帰郷しました。・・続く


故郷の子供達と生きる覚悟を決めて帰郷した祖父の生涯は充足した人生に違いありません。


# by tabibitohide | 2019-07-26 21:16 | Trackback | Comments(0)

梅雨の中休み

九州地方の雨は豪雨となるケースが増えました。
国が管理する一級河川は改修が進み以前のような増水は少なくなりました。
中小河川の増水が酷く氾濫する事例が多いようです。
雨の後の雑草の繁茂、梅雨の合間に草取りに励んでいます。
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来週からまた雨、庭に咲いた花もすぐに萎れます。

# by tabibitohide | 2019-07-07 16:03 | Trackback | Comments(0)