72回目の「終戦記念日」

先の大戦の惨禍を知る人は75才以上の年代でしょう。
その世代が日本の人口の1/8、約12.5%になったと聞きます。
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貴方は終戦の詔勅をどこで聞きましたか?
鮮明な記憶を持つ人は90才以上の方々に違いありません。

私は旅順港を望む小高い丘に建つ小学校の校庭で聞きました。

全校生徒800名ほどの生徒の中、50名程度の生徒が集合しました。
現在のような連絡手段の無い時代どのような方法で連絡が来たのか記憶にありません。

雑音ばかりのラジオを拡声器で放送、全く意味が解りません。
校長が居た記憶はありませんが、教師の一人が日本は負けた、日本からの迎えの船を待つように・・らしき話がありました。
家に帰り母に話していると隣家の小母さんが「神国、日本が負ける筈は無い、非国民は殺してやる」と追いかけられたのを覚えています。その後、日本に帰るまでどれだけ多くの人が命を落としたことでしょう。

私の家族でも3人が日本の土を踏めませんでしたから戸籍に記載されない子供を含めると想像できない人数に違いありません。
戦時下では基本的人権など存在しません殺すか殺されるか、山奥に穴を掘り隠れ住むか方法は無いのです。

弱腰と言われようが戦を回避する手段を探すしかないのです。
安全な場所へ避難する術を知る者ほど強気な発言をするものです。

# by tabibitohide | 2017-08-15 21:13 | Trackback | Comments(0)

8月は胸騒ぎ覚える日々

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毎年、8月を迎えると不思議に胸騒ぎを覚えます。
平和な日本の甲子園での高校球児の熱戦、TV観戦の場にも伝わるスタンドの喧騒。

現在の平和の対極に72年前の原爆被害、敗戦の報に言葉を失いこの世の終末と悲嘆に暮れた日々、忘れる事の無い経験です。
昭和15年に初めて4才で日本に初めて里帰りしたのも8月でした。
冬が長い満州の夏休みは8月からなので小学生の姉の夏休みの帰省、昭和8年の渡満して初めてのそして最後の里帰りでした。
祖母と在熊の叔母3人と初めて対面、墓参りに行った記憶は鮮明です。
不思議に母と姉妹の姿は記憶に在りません。

今日は98才で旅立った叔母の初盆、父の弟妹12人で93才の末妹一人残すのみとなりました。
心乱れる暑い夏の終わりが待ち遠しく感じます。


# by tabibitohide | 2017-08-13 17:01 | Trackback | Comments(0)

時の流れ

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ここに写る画像は平成13年2月の写真です。

依頼された集合写真を撮るには当時のデジカメでは心許なく645にISO200のフイルムをセット、ポロライドで試写、確認して撮影した事を思い出します。
この時代は露出、シャッタスピードを計算、構図を考え試写して確実性を確認したものです。

カメラを手にする者の玄人。、素人に拘わらず常識でした。
振り返ればカメラを持つ真剣さの欠片も持ち合わしていません。

恐らく自分の中に真摯な気持ちが甦るとも思えません。

ある出来事から集合写真は断りこれが最後の集合写真の撮影です。


# by tabibitohide | 2017-08-11 21:23 | Trackback | Comments(0)

長崎「原爆の日」

1945年8月8日午前11時2分長崎市に原爆が投下され壊滅的な被害を被ってから72年の歳月が流れました。

決して風化させてはならない惨禍ですが何時しか日本人の中でも意識しない人が増えているやに聞きます。

当時私は小学4年生、生まれ育った旅順ではソ連の参戦のニュースで騒然として長崎への原爆投下は知りませんでした。

今日「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれましたが被爆者の高齢化は進みやがて当時を知る人も皆無になる時代が来るでしょう。
今、原爆の悲惨さを知らない世代の国の指導者間で危険な玩具を弄ぶような感覚で脅しあう時代が到来しています。

長い年月、各国の指導者が決して口にしなかった文言で罵り合う時が来るとは考えませんでした。

今日、永井隆博士の著書「この子を残して」を読みその昔、涙した日々を振り返っています。

小学4年の長男「誠一」小学1年二女「茅乃」、当時、自分も小4,妹小1だった事も有り他人事に思えなかった記憶が残ります。
無力の自分にはただ平和を祈る事しかできません。
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# by tabibitohide | 2017-08-09 16:45 | Trackback | Comments(0)

広島原爆忌

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72年前の今日、広島に原子爆弾が投下された。
数年前の6月4日下りの新幹線で出会った男性との会話を思い出す。

明日の原爆忌への参加の途中だとの話。亡父が被爆者であるとの事、男性の父君は前年に亡くなられだが今年、突然に父君h原爆忌の案内状が届いたそうである。

心当りが無く事務局に問い合わせたところ原爆被害者で被爆者手帳も交付され毎年、案内状も出していると連絡があったと言う。
子供達は勿論、妻である母親も全く知らなかったそうである。

詳しく調べると10代の頃に勤務先の広島で被曝、富山の実家に帰省して結婚、子供をもうけたが家族への迷惑を思い診療も、手当をうける事なく当時の同僚との交流も絶ち生涯を終えたと判明したそうである。

その男性は参拝したかったであろう父の思いを届けに初めて参加を決めたという。

被爆者の限らず、水俣病、ハンセン氏病の患者を始め家族達がどれだけ肩身の狭い思いを抱き暮らして来た事であろうか。
誰の無策で多くの謂われなき被害者を救済できなかったのか誰も責任を取っていない。


# by tabibitohide | 2017-08-06 21:12 | Trackback | Comments(2)
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第3次安倍改造内閣が発足しました。
新大臣が入閣の連絡を受け支援者と万歳の声を上げ満面の笑みを浮かべる姿が画面に映ります。
「末は博士か大臣か」と言う言葉は死語かと思いきや現在も活きているようです。

政界の現状で省庁の責務を担うには大きな責任と緊張を伴う事であろうに緊張感の欠片も見えません。

政治の世界が家業となったような国民不在の世界に見える現在では会社内の出世争いのような感覚でしょうか。
然し会社内で専務になった副社長になったと万歳する様子は見た事がありません。


# by tabibitohide | 2017-08-03 22:22 | Trackback | Comments(0)

記憶の不思議

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記憶は不思議な感覚です。
睡眠中に見た夢の大半は起きた時点で忘れています。
時に覚えている夢が幼い頃の忘れている筈の記憶の時があります。

昨夜、見た夢は墓詣りしている夢、線香を見て天草の線香は太いなあと思う4才の自分、70年前に亡くなった叔母が着物姿でいます。母や妹達も居る筈が身近な人はいないのです。
記憶には新鮮なものが残るのでしょう。
一つの記憶を起点として時系列に記憶が甦ります。

脳に刻まれた記憶はパソコンに刻まれた記憶に似ています。ハードディスクに刻まれた記録はデフラグで整理されます、人間の記憶は睡眠時にデフラグされているに違いありません。
HDD→SSDと記録媒体も進歩するように人間の記憶装置も進化して私達の記憶媒体は時代遅れになってしまったのか、劣化したのか最近の記憶は残り難くなりました。
記憶を辿り始めると際限ない道程、疲れ果てて止める外ありません。
今日の写真は2005年の撮影、ここから記憶を辿り始めます。


# by tabibitohide | 2017-08-02 21:43 | Trackback | Comments(0)

中国春節物語

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NHKBS放送で「中国春節物語」を視聴しました。
北京オリンピックの翌年のドキュメントですから2009年の物語です。

広州市から四川省の実家へ春節に帰省する家族の様子、広州駅の混雑、切符を手に入れる苦労等々、日本の1960年代の帰省風景を彷彿する情景です。
戦後過ごした天草では働き盛りの男性は全て出稼ぎ、帰省するのは盆暮れだけでした混雑する汽車の旅だったと思われますが中国とは人口が大きく異なり少しはましだった事でしょう。
汽車を待つ駅構内で夜を過ごし一時の交流を大切に思う庶民の姿に人間の変わらぬ情を感じました。
庶民の心情は世界は一つ、正しさを求める筈の指導者の偏狭さが諍いを深める皮肉な現実です。


# by tabibitohide | 2017-07-31 21:52 | Trackback | Comments(0)

秋の訪れ(萩)


by tabibitohide